2017.8
DMZは非武装地帯(De-Military Zone)の略。戦時中の軍事境界線に作られる。
ベトナムでは、1954年のジュネーブ協定でベトナム南北を一時的に分割する軍事境界線が、北緯17度線に沿う形で設定された。その軍事境界線の周囲には、南北に幅2kmずつ(計4km)のDMZが設定され、ベンハイ川周辺が指定された。
この地域は、ベトナム戦争中最も激しい戦闘が行われた地域であり、今も当時の爪痕が残っている。
2017年8月、この地域を巡るフエ発の日帰り貸切ツアー(日本語ガイド)に参加した。
幅150mほどのベンハイ川が南北の軍事境界線となった。その川に架けられたヒエルオン橋。当時。この橋を人びとが行き来することはなかった。
現在は歩いて渡ることができる。
ヒエルオン橋の北側にあるフラッグタワー。
ベトナム戦争中は、米軍に破壊されても修復され、一日も欠かさず掲げられていた。現在はベトナム統一の象徴となっている。
有名なクチトンネルは戦闘用のトンネルだったが、ヴィンモックトンネルは住民が空襲から身を守るために作られた地下トンネルであった。総延長2800mほどある複雑な構造のトンネル。機械ではなく、わずか一年半の期間に鍬などで掘られた。600人もの人が暮らしていたと言われ、病室・産室などもあった。
ケサン基地はベトナム戦争時の米軍の重要拠点であった。ホーチミン・ルートを攻撃して分断するために設けられた。
1968年1月以降、「ケサンの戦い」では、米軍と北ベトナム軍がケサン戦闘基地を巡って激しい戦闘を繰り広げた。米軍500人、北ベトナム軍1万人もの死者を出した。米軍はかろうじて基地を確保したが、7月には自ら基地を破壊した上で撤退した。
現在は、戦闘機等がほぼそのまま展示されている。
弾痕だらけの教会をたまたま車で通りかかり、予定外だが、ガイドさんにお願いして立ち寄ってもらったところ。近くの町出身のガイドさんもよくは知らないところで中に入ったのははじめてだそう。
ベトナム中部、クアンチ省クアンチにあった教会である。案内板によると、1955年に建てられた教会。
クアンチでは、1972年には81日間の激しい戦闘が行われた。
米軍と南ベトナムによる爆撃と銃撃の弾痕が無数に残っており、戦闘の激しさを感じさせられる。米軍は7000トンの爆弾を投下し、1万発の大砲を打ち込んだと言われている。
平和がありますように。
DMZツアーからフエに戻り、フォン川を散歩した。
フエのフォン川べりには夜店が並び、若者が笛を吹きながらのんびりと笛を売っていた。今は平和ですばらしいと思わされた。
この曲、何という曲だろう(ベトナムの曲じゃないかもしれないけど)?