中村忠蔵

雑司ヶ谷霊園1-西6-2

★中村忠蔵(なかむらちゅうぞう)(1871.8.25(明治4.7.10-1941(昭和16).8.11)

北秋田の阿仁町に生まれる、小学校卒業後、足尾銅山に就職するが、まもなく辞職し帰郷。補助教員として働く。1892(明治25)年、友人の庄司乙吉を頼り上京。庄司は、中村を本郷会堂や番町教会に連れて行き、植村正久、内村鑑三らの説教を聴く。その後、田村直臣の門下として自営館に入る。また植村正久の『福音新報』の編集を手伝う。渡米し、アメリカ・メソジスト監督教会宣教師メリマン・コルバート・ハリスを訪ねる。その後、カリフォルニアのオークランドなどの牧師として活躍。1908(明治41)年、ハワイに赴き、ホノルルのハリス記念教会牧師に就任。1922(大正11)年に帰国し、日本メソジスト駒込教会(現・日本基督教団西方町教会)牧師。1931(昭和6)年3月辞任し、再びハワイで伝道。後に帰国、1941(昭和16)年8月11日、聖路加病院で逝去。