益富鶯子

雑司ヶ谷霊園1-5-31

フィリピンからの引き揚げ孤児救護事業に取り組んだ人。益富鶯子については、『満心愛の人 益富鴬子と古謝トヨ子―フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(大橋由香子著,インパクト出版会,2013)などがある。

★益富鶯子(ますとみおうこ)(1910(明治43).10.20-1966(昭41).11.9)

鉄道員伝道に取り組んだ益富政助の子として東京都新宿大久保に生まれる。1928(昭和3)年、青山学院高等女学部卒業。1934(昭和9)年、東京女子大学文学部英文科卒業、足立区の愛恵学園に就職。1942(昭和17)年、愛恵学園閉鎖により退職、賀川豊彦の秘書となる。1945(昭和20)年、賀川豊彦より戦災孤児収容施設・愛隣団の開設主事に任命され、浦賀にフィリピンからの引き揚げ孤児を迎えに行く。愛隣団の建物は戦災で焼失しており、愛恵学園の施設で孤児救護事業を行う。1947(昭和22)年、足立区の愛恵学園から台東区の愛隣団の建物に移転。愛隣壇、児童養護施設バット博士記念ホームと改称、保母主任となる。1958(昭和33)年、養護施設アフターケア青少年ホームを開設、主事となる。1961(昭和36)年、財団法人白根学園指導主事を兼務、1964年(昭和39)年、退職。1966(昭和41)年、逝去。