森派・耶蘇基督新約之教会・西荻南イエス・キリストの教会

2020年3月にいのちのことば社から出版された『知られなかった信仰者たち 耶蘇基督之新約教会への弾圧と寺尾喜七「尋問調書」』というブックレットを興味深く読んで、はじめて「耶蘇基督新約之教会」を知り、またそれを源とする教会が西荻窪にあることを知って、興味を覚えた。

かつて、「森派」あるいは「耶蘇基督之新約教会」というプロテスタントの特異な一派があった。

日本郵船の社員であった三重県出身の森勝四郎(1873-1920)という人が、日本郵船の社員であったとき、船客の置き忘れた聖書を読んで回心したとされる。その後伝道者を志して、明治学院、プリンストン大学神学部で学んだが途中退学。帰国後、鈴鹿山中で祈っていると高知での伝道が示され、高知県高岡に赴き、高知や安芸などで伝道。日本基督教会高知教会の多田素牧師のすすめで、無牧であった日本基督教会安芸教会で説教を行ってもいた。

日本基督教会安芸教会は、森を招聘するかどうかで教会は分裂し、森の招聘を主張した人々は新たに安芸基督教講義所を開いた。この教会は森派と呼ばれた。森は、著書や論文などを書かなかったので、記録に乏しい。「信仰は決して筆で書いたもので真の事が解るものではない」として、説教の原稿も一切書かず、示されたまま語った。

神論、救済論などは正統的であったが、信仰的実践はかなり特異であり、森派の特徴として、以下のような点が挙げられる。

・安息日厳守(そのために事業を行う者が多かった)

・行事を行わない。イースターもクリスマスも行わない

・日曜学校もやらない

・葬儀もやらない

・聖餐式は数年に一度

・教会と世俗との区別が明確。信徒以外の人とのかかわりの希薄さ

・子どもは義務教育のみ

・医療や薬に頼らない

 

森は1920年に病死するが、弟子らが各地で伝道。安芸(須賀寛助)、高知(寺尾喜七)、東京(野中一魯男)、名古屋(松浦永吉)、豊橋(鈴木基次)、静岡(浜川喜久馬)、神戸(高林久雄)の七教会が設立された。

東京では、野中一魯男らにより当初経堂に教会が設立され、1940年には八王子に「玉農園」と呼ばれる信者村が建設された。1940年の宗教団体法施行にあたり、「耶蘇基督之新約教会」の名で届出がなされ、「宗教結社」となった。

同教会は、偶像崇拝の徹底拒否ゆえに、「治安維持法違反」により、1941年9月12日に東京、高知、愛知、静岡、兵庫で38名検挙、12月2日に愛知で2名追検挙、1942年6月18日に静岡で3名追検挙、計43名が検挙された。22名が起訴。東京の野中一魯男の起訴状には「神宮の尊厳を冒瀆すべき事項を流布することを目的として結社を組織し…」とある。

ただ、転向や脱落した人も多かったようである。名古屋教会、高知県下2教会は結社を廃止し、その他各地の活動も停止となった。

起訴された人の多くは執行猶予付判決となり、実刑は野中一魯男(懲役2年6月)と名古屋の松浦永吉(懲役3年)だけであった。野中一魯男は、豊多摩刑務所に服役した。

この戦時下抵抗には、考えさせられる。ただ、信仰的な反戦平和ということではなく、偶像崇拝の拒否であったと思う。「教会と世俗との区別が明確。信徒以外の人とのかかわりの希薄さ」ということが、徹底拒否を可能にしたのだろうか。

 

戦後、野中一魯男は西荻窪で伝道を再開し、「イエス・キリストの教会」と称した。日曜日には約200人が集まったそうだ。野中一魯男も文章を残さず、説教の原稿も記さなかった。また森派の医療に頼らない姿勢は継承され、野中一魯男は咽頭癌になっても医療にかからなかったそうで、1951年1月に死去。1950年まで「イエス・キリストの教会」に行っていた木津芳夫氏は、1966年1月の『福音ジャーナル』に「聖日厳守は信徒の定め」という文章において、野中一魯男に「聖日厳守が…守れないような仕事ならやめてしまいなさい」と言われたエピソードを記している。

 

西荻窪には時々自転車で行くので、そのついでに外観を見に行ってみた。現在はどういう教会活動をしているのだろう?。クリスマスやイースターは?、おそらくやっているのではないか。憶測だが、野中一魯男の死去後、森派的な特徴は薄れていったのではないだろうか。

「イエス・キリストの教会」は、1992年には日本福音キリスト教会連合に加入し、「西荻南イエス・キリストの教会」と称した。

現在は、森派という意識も無いのではないだろうか。日本福音キリスト教会連合に加入したこともそのことを示しているように思う。教会のホームページにも、野中一魯男や森勝四郎の名前は無い。『キリスト教年鑑』によると、教会員は10名程度となっている。

 

 

なお、名古屋では今も森派の集会が小さく継続されているそうだが、これにしても医療の忌避や信徒以外の人と関わらないということは無いだろう。