荻野吟子

雑司ヶ谷霊園1-5-23

「荻野家」の墓であり、墓碑銘には仏教の戒名が並び、クリスチャンは荻野吟子だけである。

★荻野吟子(おぎのぎんこ)1851.4.4(嘉永4.3.3)-1913(大正2).6.23)

日本における最初の女性医師。武蔵国幡羅郡俵瀬村庄屋の5女として生まれる。16歳で結婚するが、病を得て2年後に離婚。1875(明治8)年東京女子師範学校に入学、1879(明治8)年卒業、私立医学校好寿院に学ぶ。当時、医術開業試験は女性に閉ざされていたが、1884(明治17)年にようやく女性3名が受験でき、荻野ひとりが合格。1884(明治18)年、本郷で婦人科荻野医院を開業、女性として初めて医籍に登録された。1884(明治18)年10月、京橋の新富座で開催された基督教大演説会で海老名弾正、小崎弘道、フルベッキらの話を聞き感銘を受け、本郷教会(現弓町本郷教会)に通う。1886(明治20)年6月、海老名から受洗、キリスト教婦人矯風会に参加。1890(明治23)年11月、同志社の志方之善と結婚し、1894(明治27)年北海道に渡り開業。ふたりで開拓伝道に取り組むが、失敗。志方之善は1905(明治38)年逝去。1908(明治41)年、荻野は東京に帰り、本所区新小梅町で再び荻野医院を開業。1913(大正2)年脳溢血で逝去。