中島六郎

雑司ヶ谷霊園2-4-2

★中島六郎(なかじまろくろう)(1874(明治7).4.8-1943(昭和18).4.14)

正教会唱歌教師、聖名イオアン。筑摩県(現・長野県)諏訪郡上諏訪に生まれる。21歳のとき、正教詠隊学校に入学。またニコライに勧められて、東京音楽学校選科にも入学、山田耕作の歌唱指導を受ける。正教詠隊学校を卒業後、東京復活大聖堂の聖歌隊指揮者となし、正教神学校で音楽講師。また、音楽私塾澄月会を開く。澄月会では、夏目漱石の娘の筆子がピアノを学ぶ。夏目漱石と中島六郎は交流し、漱石は中島六郎を『東京朝日新聞』の音楽批評家に登用するなどするが、後に断絶する。ロシア革命後、日露合唱団を組織、白系ロシアの文化活動に協力。酒豪であった。