浅井治

雑司ヶ谷霊園1-5-15

★浅井治(あさいはる)(1892(明治25).6.29-1940(昭和15).1.30)

1892(明治25)年、東京に土肥修平・あさの次女として生まれる。1906(明治39)年、ディサイプル派の小石川基督教会(現・日本基督教団小岩教会)で河合禎三牧師より受洗。1906(明治39)年に女子学院入学、1909(明治42)年に津田女子英学塾(現・津田塾大学)に入学、基督教女子学生青年会(学生YWCA)で活動。1915(大正4)年、東京神学社入学、1918(大正7)年、卒業。日本基督教女子青年会(日本YWCA)の幹事となる。1921(大正10)年、大阪YWCA総幹事。1924(大正13)年、大阪YWCA総幹事を辞職、イギリス・バーミンガムにあるフレンド派(クエーカー)のウッドブルグ・カレッジに留学、社会事業を学ぶ。帰国後、再び大阪YWCA総幹事。大阪にあった公立ハンセン病療養所外島保養院を訪ねるようになり、1923(大正12)年、関西MTLに参画。1938(昭和13)年、大阪府衛生課嘱託となりハンセン病患者に関わる。この頃、らい予防法の下、療養所への「収容」が進められていたが、浅井も、岡山県長島の光明園(室戸台風で壊滅した外島保養院が再興されたもの)に入所勧奨を行う。1940(昭和15)年、入所勧奨のため、在宅患者訪問の途中、転倒した傷が原因で破傷風になり、逝去。1941(昭和16)年、大阪府・大阪YWCA・関西MTLは浅井治の胸像を光明園に寄贈し、1951(昭和26)年、日本基督教団光明園家族教会の会堂入口に設置された。