羽仁もと子・羽仁吉一

雑司ヶ谷霊園1-1-10

★羽仁もと子(はにもとこ)(1873(明治6).9.8-1957(昭和32).4.7)

教育者。青森県八戸、南部藩士松岡家に生れる。1889(明治22)年、東京府立第一高等女学校入学、築地美以教会に通い、1891(明治24)年頃受洗。1891(明治24)年明治女学校高等科入学、翌年中退。1899(明治32)年報知新聞社に入社,日本最初の女性記者となった。1901(明治34)年、羽仁吉一と結婚。1903(明治36)年、『家庭之友』 (1908(明治41)年『婦人之友』と改称) を創刊、プロテスタンティズムに基づき、「思想しつつ生活しつつ」をモットーに、生活改善・生活合理を訴えた。1921(大正10)年に文部省令によらない自由学園を創立し,キリスト教に基づく自由主義教育を行う。校名の「自由」は『聖書』(「ヨハネによる福音書」第8章)による。1931(昭和6)年、『婦人之友』読者を中心に、「友の会」を結成。「友の会」は現在も活動している。1935(昭和10)年、凶作の東北農村にセツルメント運動、1938(昭和13)年、北京生活学校。著書に『羽仁もと子著作集』など。

★羽仁吉一(はによしかず)(1880(明治13).5.1-1955(昭和30).10.26)

教育者、ジャーナリスト。三田尻(現・山口県防府)に茶華道師匠の子として生まれる。周陽学舎(現・県立防府高校)中退、政治家矢野龍渓の書生となる。1900(明治23)年、報知新聞記者。1901(明治34)年、羽仁もと子と結婚。1903(明治36)年、もと子と『家庭之友』を創刊、1907(明治40)年、もと子の弟松岡正男と『青年の友』を創刊。同2誌は、1909(明治42)年に一本化され『婦人之友』となる。1900年代はユニテリアンとしても活動するが、1919(大正8)年、植村正久から受洗。1921(大正10)年に文部省令によらない自由学園を創立し,キリスト教に基づく自由主義教育を行う。校名の「自由」は『聖書』(「ヨハネによる福音書」第8章)による。1931(昭和6)年、『婦人之友』読者を中心に、「友の会」を結成。「友の会」は現在も活動している。1935(昭和10)年、凶作の東北農村にセツルメント運動、1938(昭和13)年、北京生活学校。著書に「雑司ケ谷短信」など。