吉岡弘毅

雑司ヶ谷霊園1-7-4

★吉岡弘毅(よしおかこうき)(1847.10.20(弘化4.9.12)-1932(昭和7).9.12)

外交官、日本基督教会牧師。美作国福渡村(現・岡山市内)の医家に生まれる。倉敷の儒者・森田節斎に陽明学を学び、尊王攘夷派となる、長岡、会津両藩の攻防戦に参加。1869(明治2)年、官吏となり、翌年外務省に務める。1870(明治3)年、外務権少丞となり、朝鮮に派遣。朝鮮滞在中に、漢訳の旧新約聖書を精読。1872(明治5)年に帰国後、辞職し、キリスト教教理と洋学を学ぶ。デイビッド・タムソンとG・H・F・フルベッキに師事。1875(明治8)年、東京新栄教会で受洗。1878(明治11)年、日本基督一致教会本郷教会設立に参画、伝道師に合格。1884(明治17)年、日本基督一致教会大阪北教会に赴任。1888(明治21)年、高知教会に赴任、教会の基礎を築く。1892(明治25)年、京都室町教会に赴任。1898(明治31)年、再び大阪北教会。1909(大正8)年、伊賀上野教会。1914(大正3)年、牧師を引退し、東京に移り、富士見町教会で聖書を、東京神学社で陽明学を教える。1927(昭和2)年、湘南葉山に移り、1932(昭和7)年逝去。