河村伊蔵

雑司ヶ谷霊園1-5-33

★河村伊蔵(かわむらいぞう)(1865.11.25(慶応1.1.11)-1940(昭和15).2.5)

正教会司祭、建築設計家。愛知県に生まれる。1883(明治16)年愛知県知多郡内海の内海正教会で受洗。1886(明治19)年上京し、神田駿河台の東京復活大聖堂(ニコライ堂)の詠隊学校に入学。卒業後、副輔祭として聖堂の庶務に就き、後に各地の聖堂の建築にあたるようになる。ロシア人捕虜のための聖堂として、1908(明治41)年松山ハリストス正教会復活聖堂、1910(明治43)年大阪ハリストス正教会生神女庇護聖堂建設。1912(大正1)年修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂、1913年豊橋ハリストス正教会聖使徒福音記者マトフェイ聖堂、1915(大正4)年白河ハリストス正教会生神女進堂聖堂、1916(大正5)年函館ハリストス正教会主の復活聖堂を建設。これ以降建築の設計からは遠ざかる。1931(昭和6)年次男の内井進を補佐し金成ハリストス正教会聖使徒イオアン聖堂を完成。1937(昭和12)年司祭に叙聖。戦後の建築家内井昭蔵は、内井進の子(河村伊蔵の孫)である。